真(まこと)の浄土は何処(いずこ)に 浄土というと即ち苦しみはなく悪人もいない、完全に清らかな世界と思いがちです。しかし、それは誤解です。私たちを成長させてくれる所こそが本当の浄土なのです。 その成長に必要なのは試練です。試練には悪も含まれ、苦しみも伴います。泥にもまみれることでしょう。 蓮畑を想像して下さい。泥の中から引き抜いてきれいに洗った時艶やかで太った見事な蓮根ができているではありませんか。 あの畑の光景こそ、当に浄土と呼ぶべきではないでしょうか。 日蓮聖人ご遺文 『守護国家論』 鎌倉時代、庶民は苦しみに喘いでいました。頼みは浄土でした。その浄土には死後にしか往けないとの教えが広まっていました。 「そんな考えでいいのか。それじゃあこの世に生まれた甲斐がないじゃないか」「俺たちの命の花はこの世でこそ開くんだ」そう叫ばれたのが日蓮聖人でした。そんな熱い思いを込めて書かれたのが本書です。 これは聖人が生きた時代だけではありません。今日只今の問題なのです。 正元元年(1259) 聖寿38歳 前の法話へ 法話一覧へ 次の法話へ
真(まこと)の浄土は何処(いずこ)に
浄土というと即ち苦しみはなく悪人もいない、完全に清らかな世界と思いがちです。しかし、それは誤解です。私たちを成長させてくれる所こそが本当の浄土なのです。
その成長に必要なのは試練です。試練には悪も含まれ、苦しみも伴います。泥にもまみれることでしょう。
蓮畑を想像して下さい。泥の中から引き抜いてきれいに洗った時艶やかで太った見事な蓮根ができているではありませんか。
あの畑の光景こそ、当に浄土と呼ぶべきではないでしょうか。
日蓮聖人ご遺文
『守護国家論』
鎌倉時代、庶民は苦しみに喘いでいました。頼みは浄土でした。その浄土には死後にしか往けないとの教えが広まっていました。
「そんな考えでいいのか。それじゃあこの世に生まれた甲斐がないじゃないか」「俺たちの命の花はこの世でこそ開くんだ」そう叫ばれたのが日蓮聖人でした。そんな熱い思いを込めて書かれたのが本書です。
これは聖人が生きた時代だけではありません。今日只今の問題なのです。
正元元年(1259) 聖寿38歳