一人の言動と全体 僻事とは、道理や事実を曲げる過ちのことです。一人の過ちは、池に石を落とした波紋のように、本人に止まらず周囲に影響していきます。波が波を呼んで大きくなることもありますから、注意しなければいけません。 善もまた同じように、本人に止まらず周囲に広がります。どんなに小さな善であっても、それを積み重ねようとしている努力が、周囲を和ませ、人を育て、やがて安穏な社会を開いていくのです。 『本尊問答抄』 このご遺文は日蓮聖人が、兄弟子の浄顕房からのご本尊授与の願いと質問によって、ご本尊をしたためられ、その意義を示されながら問いに答えられた書です。 まず末代悪世に信仰すべきご本尊を示され、後に僻事の事例を示されました。 聖人はこれらを広く伝えられました。その功徳をすべての人々に分かち与えたいと祈られ、このご本尊のもとで、迷うことなく信仰しなさいと結ばれました。 弘安元年(1278)聖寿57歳 前の法話へ 法話一覧へ 次の法話へ
一人の言動と全体
僻事とは、道理や事実を曲げる過ちのことです。一人の過ちは、池に石を落とした波紋のように、本人に止まらず周囲に影響していきます。波が波を呼んで大きくなることもありますから、注意しなければいけません。
善もまた同じように、本人に止まらず周囲に広がります。どんなに小さな善であっても、それを積み重ねようとしている努力が、周囲を和ませ、人を育て、やがて安穏な社会を開いていくのです。
『本尊問答抄』
このご遺文は日蓮聖人が、兄弟子の浄顕房からのご本尊授与の願いと質問によって、ご本尊をしたためられ、その意義を示されながら問いに答えられた書です。
まず末代悪世に信仰すべきご本尊を示され、後に僻事の事例を示されました。
聖人はこれらを広く伝えられました。その功徳をすべての人々に分かち与えたいと祈られ、このご本尊のもとで、迷うことなく信仰しなさいと結ばれました。
弘安元年(1278)聖寿57歳